2018年1月17日水曜日

093 「特定健診と当院の検査の基準値が違うのは変だ」 (2016.07)

93. 「特定健診と当院の検査の基準値が違うのは変だ」と質問された  (2016.07)

先日、通院中の患者さんが特定健診の結果をもって来られて、「当院での採血の基準値と随分差があるのが納得できない」と疑問を述べられていました。小生も既に「これは不適切」であると思っていたことです。健診データーの基準値が厳しい方に変更されており、医療においては「良い値」であっても、健診では「要注意」として引っ掛けるのです。「予防医学においては、より早目に引っ掛ける方がよろしい」というのが国(それを支える学者、多数派なのかも知れない)の考えのようです。「医療費の増大を阻止するためには、早目に引っ掛けて指導して、疾患の発生を阻止するのが大切」との主張のようです。中央官僚は、白黒の付かない事象について、都合のよいデーターを取捨選択して作文する能力を評価される立場のようです。個々の官僚の業績は在任中に何らかの事業を起こすこと(多くは税金を食う)で決まるようです。ところが、どうせ人間は死ぬのであるから、今のような我が国の医療環境であれば、いずれ同じように医療費を食ってしまうという反論があるのです。私はこちらの意見が本当のように思います。国が推奨する職場における健康増進プラン(THP)も特定健診も、その仕組みに多くの税金が支出されることだけが確かなだけです。

仮に、早目に指導をするのが良い点があるとしても、他方で、余計な病的な意識を被検者に植えつけたり指導を受けさせたりしなくて良いと思います。いろんな人間ドックも検査値の基準値は特定健診のそれに合わせてしまっております。医療と健診において検査値の基準値が違うことは「面倒臭いこと」が伴います。

特定健診で一番怪しからぬと思うことは、医療機関に通院していて、かかりつけ医が管理させてもらっている患者にも「受検勧誘」の電話を繰り返し掛けてくることです。電話を掛けてくる地方の公的団体などの経済的な事情と仕組みについては小生も知っています(中央官僚の常套手段である補助金という飴と鞭です)。つまり、受検率が低いと減額されるので、実際に困るのです。それは判っているのですが、やはりこういう「受検勧誘」の電話は非常に不適切であると思います。

我が国の縦割り行政はあたかも「冗談」の趣を感じます。一方で「肺癌での死亡を減らしましょう」という役所があれば、同時に煙草を売っている役所もある(現在は民営化となっていますが)。一方で、「医療費の増大で日本という国が経済的に持たなくなるのではないか」という状況のはずなのに、他方で、世界一の長寿国を「さらに寿命を延ばして自慢しよう」という役所がある。特に、後者は現在進行形なのでもあり、「馬鹿じゃあないか」と思います。「健康寿命だけを延ばす」ことがまあ妥当なのかなと思います。国もこの概念を持ってはおり、予防医学を充実させることが「健康寿命」を延ばすと主張しています。しかし、単なる「作文」に過ぎなくて、実効がない可能性があります。少なくとも、もっと歳出の少ない仕組みに頭を捻るべきだと思います。


我が国の平均寿命が長いことの理由の一つは、国民皆保険とフリーアクセスのもとで、他の国では行わないような「高額の医療費を使い続けて無理やり生かしている」からなのではないのかと思います。否、それよりも日本の長寿の最大の原因は「単に、生活水準が素晴らしく良好」ということのようです。この総合力が長寿大国の秘密なら、それは素晴らしいことです。先進国でありながら富裕層と貧困層との程度差は世界的にみて、極めて少ない(不安を搔き立てて成立している多くの新聞とTV報道はそうは言わない。マスコミや識者のいう「貧困度」という指標の「計算法」は実態に合っていないような気がする。幸福度という別の指標もありではないかと思うが、贅沢感覚を植え付けられてしまった我が国の庶民の幸福度は残念ながら低いのではないかと思ってしまう)。