2018年1月17日水曜日

077 院長退任にあたってのご挨拶 (2016.01)

77. 院長退任にあたってのご挨拶  (2016.01)

私は平成3年に有床診療所の当クリニックを開院しました。義父(前身の大塚外科医院・院長)と義弟を加えての3人医師の体制で始めました。実質はほとんど若い2人の医師で行ってきました。この度、無事に義弟に院長をバトンタッチできましたので安堵していますと同時に、患者のみなさまに感謝いたします。加えて、至らないところ多々あった点についてお詫びを申し上げます。
病院の各専門科の先生からいただく診療情報提供書から多く勉強させてもらったことはいうまでもありませんが、このシリーズの開始時にご挨拶しましたとおり(0号参照)、私は「患者さんに教えられながら」経験を増やし、判断の仕方の勉強をしてきました。このシリーズは「医療のことは素人の患者には判らない」という態度のままではなく、医療であっても、自分のことは最終的には自分で判断して自分が決めるように誘導したいというものでした(余計なお世話?)。
ということは、このシリーズに書かれていることも(大抵は良いことを書いていると私は思っていますが)、その内容を自己判断していただくのが一番素晴らしいことだと思っています。私も、病院の各専門科の先生のご意見やご指導を自分で取捨選択しているわけでして、部分的にはこちらの方が事態をよく把握していることもあるわけであります。また、各専門学会の作っている治療指針であるガイドラインについても、重要な参考にしますが、必ずその通りにするというものではありません。個々の患者さんの具体的な状況を知っている主治医が判断するものです。

私は卒業当初から「呼吸器外科」という教室に入局し、18年間この狭い領域(肺・胸壁・縦隔の外科疾患)だけで仕事をしてきました。呼吸器内科と循環器内科や心臓血管外科のことは合同カンファレンスなどで「門前の小僧」的な経験をしたことがある程度でした。ただ、全身麻酔は自分たちで行う体制でしたので、沢山の経験を持っていました。急に準備期間もなく有床診療所を引き継ごうと思い立ちましたので、仕事を始めた時には開業医が扱うような病気のことはほとんど経験がありませんでした。「風邪」のようなものや「成人病の管理」も最初は不案内でした。ただ、「怪我・捻挫・骨折」や「理学療法」などは義父が扱っていましたので、簡単なものは自分なりのものにしていきました。消化器科のほうは全面的に義弟に任せることにしました。ということで、開業当時の外来は「知らない病気ばかり」でしたので来院数が多くなくても疲れていました。そのうちに多くの疾患に慣れてくると、そういう性質の疲れは少なくなってきました。結果的に、来院される患者さんの大方の訴えや疾患に対して、一旦は、当院で扱えるようになったと思います。

このシリーズは開業後10年目に始めました。100回を目標にしていました。しかし、最初の8年間に75回を書きましたが、それ以後の7年間には1回しか書けませんでした。日々の診療やマスコミの報道の内容から書くネタは幾らでもありました。書けなかった一番の理由は、日常診療において書くという作業に疲れ果ててしまったからです。人口の高齢化の問題と医療費の高騰の抑制策がうまくいかないなどで、国の医療や介護の方針が試行錯誤の繰り返しでして、その過程で、医療や介護の現場で書類を書かされる仕事が多くなってきました。これらの書類と病診連携の情報診療提供書などの書類を書くのにエネルギーの多くを費やすようになりました。書くことによって病状の再把握が出来る利点もありますが、国にはもっと診療自身に集中できるような環境を作ってもらいたいと思います。今年から、外来診療日を半減させていただき、気持ちと時間に余裕ができますので、このシリーズも百回を目標に再開しようと思いました。