2018年1月17日水曜日

084 漢方薬について以前から思っていること (2016.06)

84. 漢方薬について以前から思っていること  (2016.06)

小生は現在、芍薬甘草湯を下肢痙攣症に好んで用いていますが(頓服的な効果があるようなので、長期服用は期待していません)、他の領域でも「この漢方薬はこの症状に良く効く」ということは、かなりあるのだろうと思っています。しかも、本業が不振のためにサプリメント市場に参入してきている食品メーカーや製薬会社などの過剰な宣伝とは違って、漢方(中医)というのは、それこそ「中国四千年」(この表現は鵜呑みにするのも好きではありあませんが)の先人たちの膨大な経験と哲学の蓄積があります。

ただ、支那や倭国の哲学や方法論は西洋のそれらとは随分違います。中医であっても我が国古来の武術や芸能であっても、秘伝や極意を多くの弟子の中で指名された数少ない高弟に継承される形を長らくとっていたように思われます。ところが、西洋医学というものは、カリキュラム化された教育と実習をクリアすれば、「唯の人」であっても医師として医療を実践できるというものです。「唯の人」というのは、特別に優秀な頭脳や技量がなくてもよいということで、余程の「出来が悪い人」でなければ、医師としてなんとかやっていけるということです。それだから、西洋医学は発展したのです。「西洋医学の補完として漢方の意義がある」のは一般的にはそうなのでしょうが、以前から気になってきたことを列挙しておきます。

 私も、開業した時にはそういう考えで、漢方の教科書や教養書を手に入れて読んだりしました。しかし、漢方の治療は「証」という体質に対する「物差し」で決めるというものです。「西洋医学には乏しいオーダーメイド治療になる」ということでしたが、この「証」が客観的には判りにくい。免許皆伝的な臭いがある。一寸くらいの研修では「自分が一人前になった」とは思えない。然るに、現在では漢方薬をそこらの一般医が相当数処方している。このギャップが大きい。結局、製薬会社や関連学会の意見の通りに処方している医師が大部分であろうと思われます。本来、西洋医学的な病名では漢方処方は決まらず、個々の患者における「証」によって決まると言いながら、現実は制度上でも病名で規定されていますし、実際上も病名に依存しており、漢方薬は西洋医学と同じ土俵で処方されています。

 漢方薬は以前においては薬局では販売されていたのが、昭和51年に保険適用になりました。通常の個々の薬剤が保健薬適用を受ける時には、詳しい基礎データーを揃えて認可を受ける仕組みになっていることはご承知の通りです。それなりの開発費と開発時間を製薬会社に負わせているのです(ジェネリック薬品は別です)。然るに、漢方薬はこれらを「超法規的に」免除して適用になっているのです。以後、ずっと審査は「素通り」のごとくなのだと思います。当時の日本医師会と政府の指導力で行われたものと思われます。小生は、大手の漢方製薬会社への天下り役人の存在と役割の有無を検証すべきだと思っています。

 こういう制度上のいい加減な保険適用になった漢方薬について、最近、保険適用を外そうという動きが政府に出てきています。もちろん、医療費全体の増大をどこかやり易いところから手を付けようという政府の思惑なのです。もともと、保健導入の経緯に問題があるのですから、これについてはそうすべきだと私は思います。小生は多分「非常に少数派」の賛成者です。昨年、日本臨床漢方医会がそういう動きに対して反対声明をだしています。しかし、前号で書きましたように、「効果が不明な場合に直ぐに中止することもせず」、医療費を無駄使いしているのではないか」という反省を先ず学会関係者がすべきではないかと思います。

 「漢方には副作用がほとんどない」とか「漢方は体質の薬だから、ずっと飲み続けないといけない(サプリメントと同じ感覚)」と思い込んでいる人が多過ぎるように感じます。医師自身がそう思っているのであれば、それは医師側に認識の問題があると思います。