2018年1月17日水曜日

071 末期ケア~末期医療はどこで迎えたらよいか? (2007.05)

71. 末期ケア~末期医療はどこで迎えたらよいか?  (2007.05)

十五年程の開業医の経験で気付いたことを述べてみます。当院での末期の方の多くは進行癌ですが、慢性呼吸不全や超高齢という場合もあります。表題の「どこで迎えたらよいか?」の結論は「人それぞれ」「ケースバイケース」だと思います。そして、経過中の「その時々による」と思います。受け皿の「病医院もいろいろ」、「ホスピスもいろいろ」、「在宅もいろいろ」。初めから決めてかからない方がよいと思います。

肺がんの末期の老婦人。基幹病院に入院中で死期が近かった。ご本人が自宅で最後の日々を迎えたいと希望して退院された。かなり重篤であったが主治医も仕方なく「それでは」ということになったらしい。帰宅して直ぐに分かったことは、呼吸が苦しいし痛みも強いが寝床の状況も具合が悪い。しかも世話をするのは老夫だけということで、退院した夜から修羅場になった。その夜、近医の私が往診を頼まれたが、在宅ケアは困難過ぎた。翌日に亡くなられました。一方で、脳梗塞後の麻痺で意識のしっかりした寝たきりの老人。定期的に訪問診療に行っていたが、数十年にわたる家族による十分なケアがあった。肺炎を契機に食餌が摂れなくなり、最初は点滴をしたりしたが、目処が立たずジリ貧状態となってきた。しかし、苦痛はなかった。家族と私の協議の後で、奥さんが、「点滴ももう止めようね」と意識のしっかりしている本人に告げられて、見守るだけになった。最後まで自宅で、安らかな多分良い最期を迎えられた。在宅もいろいろです。

ターミナルケアといえばホスピスですね。ホスピスにはケアに適した環境と訓練されたスタッフがおられて、確かに素晴らしい点は多いと思います。それでは、近所の末期癌の方は当院に入院するよりホスピスが常に良いかというと、そうとは限らないと思います。当院では、アメニティは落ちるし、質量ともにマンパワー不足です。そうですから、療養生活をまだある程度楽しめる時間的そして精神的に余力のある場合はホスピスが良いかもしれません。当院が良いと思った点を挙げますと、近所の方の場合は、家族が毎日のようにヒョコッと会いに来ることが良い。遠方のホスピスではアメニティは良くても家族が滅多に面会しない、あるいは家族が毎日面会で大変である。まあ、早い話がこれが一番です。
当院では胸水が溜まってきて息苦しくなっても、胸部外科的な専門処置もある程度は可能なので、そういう処置をするのが良いか、麻薬や酸素を中心の手立てだけにするかの選択が可能である。また、誤嚥性肺炎で痰が溜まって苦しくなった場合、当院ではベッドサイドで細い気管支鏡でそれらを除去することも困難ではありません。消化器科の医師もいるので必要な専門的医療もある程度可能です。また、一時的な状態の悪化も強力な薬物療法を単発的ないし臨時に行うことで、早期に苦痛を緩和することもあり得ます。末期だからアクティブな医療をしないというのは十分な緩和という観点からも、常に適切とは限りません。大病院におけるホスピスならば院内の協力体制があればベストに近いことが可能でしょうが、小規模のホスピスの場合はどうでしょうか。


入院より在宅のほうが良いという話が厚労省の方からもプロバガンダ?していますが、それはもともとは医療費削減が主題で、ご本人の快適さとは別物です。在宅が良いのはやはり家族にマンパワーの余力がある場合でしょう。在宅もホスピスと同じく、末期といっても、まだ最期までの時間の余裕がある場合には良いと思いますが、常に在宅の方が良いとは思えません。ご本人の状況や家族の疲労度に応じて、入退院を繰り返すようなことも現実的で良いかも知れません。それと、入院の場合は、家族は見舞いに来た時間だけのことなので、切り替えができてより優しくなれるようです。