2018年1月17日水曜日

030 肺の内視鏡手術に思ったこと (2003.11) 

30. 肺の内視鏡手術に思ったこと                    (2003.11)

前号の続編です。私は、このクリニックの建物を造った時に、豊富な肺・縦郭・胸壁外科の実績(多分、五百~千例)を熊本に生かそうと思い、手術施設を備えました。ところが、開業して直ぐに、突然のごとく(熊本に転居してくる直前までは、その兆しはなかった)、肺の内視鏡手術が広まりだすことを知りました。自分の目論見では、自然気胸などの軽い手術などは当院でも結構多いだろうと思っていました。ところが、この気胸手術のようなものこそ、胸部内視鏡(胸腔鏡)の適用と考えられるようになるはずだと思いました。
 もし診療所レベルの当院で普通の開胸法で自然気胸の手術を行うと、それがたとえ妥当であっても「何故大きい病院で内視鏡手術をしなかったのか」という話が後で出てきて煩わしいと考えました。実際には、「当院で手術をして欲しい」という方もありましたが、病院に紹介しました。当院で手術をした胸部の手術は肺癌を始め腫瘍(14例)ばかりでした。そして、開業6年をもって全身麻酔の手術を止めました。肺の手術をする診療所は滅多にないことです。時勢を考えるとリスクが大きくなってきたと思いました。なお、胃癌2例、イレウス1例、虫垂炎16例、鼠経ヘルニア3例などの腹部手術も、大塚副院長の執刀で行いました。

さて、病院に紹介した気胸などの肺の手術例は、術後のX線写真的にはとてもスマートとはいえない出来栄えのものが時々ありました。もし、普通の開胸でこういう手術をすれば、何らかの言い訳が必要となりそうです。腹部の場合は単純写真ではこういうことも判りませんけれど。一度、肺癌で病院に紹介した患者さんの内視鏡手術を見学しに行ったことがあります。たまたま、この症例においては、癌を含む肺の組織を一度に上手く切除出来なくて、数回に亘って切り直しているのです。本人は術後の傷しか見えないので、術中にそういうことがあっても判らないのです。本来は、癌の手術などは、切り直しのようなことは(絶対にないとは言えませんが)、極力避けるように、充分な余裕を持って切り取ることが伝統的な主義でした。内視鏡手術の適用を広げすぎるとこういう不都合が多少は多くなってくると思います。多くの患者の恩恵になることも確かですので全部否定するものではありませんが、全て良いというものでもないということです。

昔は肺癌の診断が付くと、いくら小さい病巣であっても片肺を全部摘出したのです。そうしないと、リンパ流などに散っているのを取り残すことを恐れたのです。私が医師になった頃は、肺葉のみを丸ごと(片肺の半分から三分の一くらい)摘出するのが標準術式になっており、今でもそういうことです。しかし、症例によっては(高齢とか余力の乏しい症例で肺癌が限局している場合など)肺葉の一部を切り取ることも間違いではないとされています。それ故、内視鏡手術でそういう手術をしても不都合であると決まった訳ではありません。因みに、内視鏡手術でも肺葉切除術も出来るのです。ところが、リンパ節郭清は不十分になるか、つまみ取りの繰り返しになり勝ちです。以前、このリンパ節郭清の仕方(系統的 vs つまみ取り)の論争があったのですが、どうでも良くなった観があります。逆に考えると、その論争は言う程のことはなく、実際どちらでも大した違いがなかったようでもあります。 


これは、筋肉の縫合のやり方にも言えます。伝統的には、開胸や開腹に数層の筋肉を切ったのなら、終了時には各筋肉を一層ずつきっちりと縫合しないと、好い加減だと非難されたはずなのに、内視鏡手術では全然きっちり縫えないのです。これは余り好ましいことではないと思いますが、きっちり縫合しないと不都合が起こるとあれ程指導されたことも、言う程のことでもなかったとも言えるように思います。