2018年1月17日水曜日

037 「高齢者の内服薬が多過ぎる」からの脱線 (2004.11)

37. 「高齢者の内服薬が多過ぎる」からの脱線  (2004.11)

療養型病床群制度の導入前のテレビの特集番組で、「老人病院に入院中の患者さんの多過ぎる薬をうんと減らしたら、本人の状態も良くなったし、医療費も減った」というのを見たことがあります。自分の経験でも、病名や症状を考えて処方をしてきたら、気が付いたらかなりの量だと、驚くというか何とかならないかなと思う、そういうことは確かにあります。しかも、私の場合でも、良かれと思って処方した薬を途中で止めたらその方が良かったという場合は正直言って時にあります。薬の種類によってそういうことが稀な場合と、比較的起こり易い場合があることも判ってきました。

先程の病院の話の趣旨のように、不必要だった薬を単に減らしたから状態が良くなったのかもしれませんが、マンパワーによる医療の質を向上させようとした病院の姿勢の転換が患者さんの状態を良くしたのかも知れません。薬を減らすのが絶対に良いのは本当か? と私は言いたいのです。最近の医療費の点数でいきますと、あまり薬を出さない方が医療機関にメリットがあるような場合があります(療養型病床群などの「マルメ」という定額制の場合)。そうすると、必要な薬まで止めてしまう傾向にあります。私は他の病院にかかっている患者さんにおいて、薬が少な過ぎて不都合になっているに違いないと思うケースをみたことがあります。今の制度では必要な薬を可能な限り減らそうとする訳です。可能な限りならベストかも知れませんが、それ以上なら悪いことになります。テレビで報道するのは物事の片方しか言わないのです。報道者が意図を持っている場合もあるし、無知の場合もあると思います。

前節のような意見を書きますと、「医療機関は経済ばかり優先にしておかしいではないか?」との疑問がでるかも知れません。医師として良いと思う医療と経済との間で選択を迫られることは、現実にあります。私の場合は、「まだ経営に余力があるからこの場合は敢えて経済を無視しよう」ということは結構あります。ただ、日本全体の統計になってきますと、点数重点の方に動くのです。これはどの世界でも必ずそうなるのです。これを期待して日本の官僚は政策を決めているのです。それを、「政策誘導」と言って、我が国の官僚の伝統的手法です。「こっちの水が甘いぞ(点数が高いぞ)」とやるのです。こういう場合もあって良いと思いますが、そればっかりというでは良心とか道徳が危うくなります。

 脱線ですが、医薬分業政策(調剤薬局)について。政府が医薬分業が真に望ましいと思えば(実際は、患者さんや医療機関に良い点もあるし、不都合な面もある)、「何年か先にそうするので、医療機関もその心積もりして下さい」として、法制化したら良いと思います。ところが実際に行政がしていることは、医療機関には、院外処方箋を出す方が点数が高くなるという政策誘導をかけ、他方で、調剤薬局には最初は高い調剤点数で政策誘導をかけて参入させます。参入に投資をさせて後戻り出来ない頃合で、調剤点数を下げました。半額になっているので調剤薬局の経営は思惑より厳しくなりました。実は、最初の点数が良過ぎて、調剤薬局は大儲けをしたという情報を後で聞きました。介護点数も同じ事をしています。投資をしてデイケアを立ち上げさせた後で、何度もどんどんサービス点数を減額して、当初の半額以下になっています。同じサービス内容で途中から半分に減額されては、経営の見通しなど出来るものではありません。

医薬分業も介護保険制度も、政府や官僚が、実際はこうあるべきという哲学からではなく、医療費公的出費の削減目的から出発したのは明らかですから、後で点数が削減されることは医療・調剤・介護機関とも先読みをしておく必要があります。私は判っていましたが、末端の我々にはどう仕様もないことが多くて困りますのデス。