2018年1月17日水曜日

027 何故、怪しい宣伝や意見に騙されるのかについての考察 (2003.10)

27. 何故、怪しい宣伝や意見に騙されるのかについての考察  (2003.10)

二つの重要なポイントがあると思います。一つ目は「論理の飛躍」を用いて、実は何ら証明していないことをあたかも証明したかに説明することです。最近出回っている「脳内革命」とか「免疫革命」とか、気を引くような本はこういう手法を使っていると思います。一応、最新の一流の研究成果を引用した挙句に、「だから、私の勧めるこういうことをすれ良い結果が得られる」という書き方ばかりですが、「だから」が「だから」に全然なっていないのです。これは国語の問題なので、専門知識がない読者でも判るべきです。先ず信用するということでなく、先ずは疑って読む癖が必要だと思います。

二つ目は「量の観点(定量性)の欠如」です。「トラックの荷台に十円硬貨を載せたら重くなる」は果たして意味があるでしょうか。ビルディングの屋上に届こうとして高下駄を履いても実際の効果はありません。使用量と効果量の関係を無視した議論は空論です。赤ワインや黒酢やアガリクスは正味何グラムをどの期間服用すれば実際の人間にどの程度の判定可能な良いことが実現するのか、良いと勧めている人にも実は判るはずがありません。「でも、飲まないより、多少でも飲むのは良いのではないか?」については、そうかも知れないし、実際は無意味かも知れないし、却って悪いかも知れない、のどれであるかも直ちには判りません。糖尿病や肥満の人にカロリーの多い健康食品を与えた場合は、糖尿病や肥満の悪化だけが確実です。

 昔、「味の素」のグルタミン酸は頭脳が良くなるという物凄く有名な説がありました。学者がある種の脳機能を良くするとのデーターを発表をしたからです。現在でも「味の素」は調味料に重要のようです。しかし、今は頭が良くなるから使っている訳ではありません。あの話はどうなったのだろうと思います。人間個体への影響は判らず仕舞です。証拠なしです。ここで万が一効果があるとしても、どの程度の効果かというのが一番大事と思います。その後、「味の素」はとんでもなく有害だとのキャンペーンもあったのはご存知ですか。これも、いい加減な話のようです。

最近、「ストレスが多いと癌になる」と権威筋も言っていますが、研究室レベルでの限定したデーターをストーリー化したものに過ぎないと思います。ある種の真実を語っているのかも知れませんが、人間個体レベルでの量的な意味付けもなされておらず、どの程度の意味があるか不明のままです。私自身は、ストレス・免疫・癌というキ-ワードには、昔から研究テーマとして関心を大いに持ってきていますが、それ故に、いい加減さが判ります。せいぜい、「論理的にはそういう物語になる」とするべきでしょう。研究者も人の子ですから、自分の研究室での成果を社会的意義があると主張したいのでしょうが、あたかも本当に意味があると決まっているかのようにリークするのが良くないと思います。リークする研究者には「意図」があるのですが、マスコミ側にも、無責任な発言を掲載する構造があるのです。


量的な問題についての参考話があります。放射線障害のしきい線量(14号参照)のように、生物反応では刺激がある量以下では、その効果は僅かでもなく、ゼロであるという場合があります。イメージとして底に小さい穴の開いた「鹿脅し(ししおどし)」の底に穴を開けたとしましょう。日本式の庭に造ってある「水の流れ」を受ける竹製の筒です。ある程度以上の流量で水を注入しておくと、たとえ、底からの漏れがあっても定期的にカーンという音が聞こえるでしょう。ところが少量過ぎる流量で水を注入したとすると何年何ヶ月経ってもカーンという音の回数はゼロです。適切な比喩であることを願っています。