2018年1月17日水曜日

048 治療効果判定のための統計処理の怪しいところ (2005.01)

48.治療効果判定のための統計処理の怪しいところ  (2005.01)

前号の丸山ワクチン(代替療法です)は、製薬会社のゼリアとの共同研究で、確か2つの大規模の治験トライアルがあったという記憶があります。その一つはワクチンの効果が統計的に有意にあったということで、他の方は効果がなかったというのであったという記憶です(ちょっと頼りないのは申し訳ありません)。これは延命効果が多少あったかどうかでの判定です。しかし、統計処理しないとどっちか判らない程度のものです。こういう仕事を全部否定するものではありませんが、こんな程度のものなら、目の前の個々の患者さんに恩恵があるかないかについては多くを語れないし、想像力を働かせると、恩恵がないことの方がより確かです(79号参照)。

参考までに、最近の大規模調査のデーターを書いてみます。日本人の摂取食塩を平均3g減少させると血圧が平均1.5mmHg低下するそうです。そうしますと、日本人全体の脳卒中発生は4.5%も減少するそうです。この減少は日本国民全体を考える政府からすると非常に重い意味合いがあります。ところが、個々の成人については血圧が1.5mmHg低下したらどういう恩恵があるかというと、それについては何も言えないそうであります。これは減塩をしなくて良いということに力点があるのではなく、統計処理データーというのは、個々の将来の予想には言う程の力がないということです。特に、ギリギリで統計上の有意差がやっと出たというような場合は、あまり意味はないと思います。

最近のいろんな治療法の大規模治験成績をまとめる場合には、必ず統計専門家が統括することになっています。それ程、統計処理をしないと有意差があるかないか直ぐには判らない場合が多いのです。しかも、たとえ有意差が出た成績でも、もう一度したら別の結果になるということが結構あるということです。統計学者のお墨付きを貰ったことは確かですが、それはデーターの処理法が一応妥当だということであって、決して真理を述べているとは言える代物ではありません。

私が大学院に進んで最初に書いた抑制性T細胞に関する免疫学の論文は幸運にも英国の「ネイチャー」紙の「速報」に掲載されました。この「速報」こそ、先見性や独自性が含まれないと掲載されない、自然科学研究者には憧れの舞台です。インフレの著しい現在の同誌に比べて、当時は論文掲載数が非常に少なくて極めて狭い門でした。この論文にネズミを用いた免疫学関係の実験のデーターを三つ載せたのですが、どのデーターも統計的処理を省いています。しかも、予備実験であったので、恥ずかしいことに各データーの各点に用いたネズミの数が3~5匹という少な過ぎる数でした。
通常はデーター間の統計的有意差を示す計算結果も付記するのですが、「そんな計算するまでもなく、大きな差があるので見たら判る」ということで教官があえて統計計算データーを添付しなくてよいと言ったのです(その計算は数分以内で済む至って簡単なものです)。雑誌のレフェリーはこの論文を一発で掲載許可にしてくれました。直感的に判る程の差があるというのが一番確かであった例です。


逆に、論文のデーターの各点を出すのにそれぞれ数十匹ずつものネズミを使って、統計処理をしてやっと有意差を出したという場合があります。論文としてはプロ的できっちりしていますが、直裁的に「成る程その通りだ」という感覚は出て来にくいようにも思われます。物理学のデーターなら、こういうのでも確かな場合があるのかも知れませんが、医学や生物学のデーターでは、統計処理がいくら完璧でも、読んでみて「フウーン」「そうかなあ」と思うだけという場合が多いのです。人文系論文の場合はもっと曖昧です。

(注)この私の論文について、やや詳細な経緯を書いておきます。当時の免疫学会では免疫反応をかえって抑え込む「抑制性T細胞」というTリンパ球が注目の的になっていました。その頃、エンドキサンという日本でも臨床によく使用されていた免疫抑制剤(抗癌剤でもある)がかえって免疫反応を増強するという現象も注目されていました。どちらもパラドックス現象だったのです。そのうちに、この免疫抑制剤は「抑制性T細胞」を選択的に障害することによって免疫反応を増強するのではないかということを示唆する論文が出てきていましたが、証明に至った論文はまだなかったのです。
 私が大学院生で病理学の教室に出入りした時はまさにそういう時期で、指導教官の森川茂講師がたまたまこの解析に応用できる実験系(Ⅳ型アレルギー反応の一種)の解析的に便利な独特の抗原を用いて論文を書いていたところでした。そこで、私は直ぐにその実験系でこの証明をする実験をやってみたのです。すると、その通りの結果を得たので、予備実験であったけれども他の研究者に先を越されないうちに「直ぐ出そう」となったのです。それは実験している自分たちが信用できるデーターだと確信したからです。数年後には、解析を重ねていった実験結果を載せた論文も米国の「実験医学雑誌」というその分野の最高レベルの雑誌に一発で掲載受理されました。しかし、その後の研究の進展の見通しが立たなくなり、その後は元の呼吸器外科のスタッフに戻る道を選びました。
 なお、この頃から「抑制性T細胞」の発見者である日米の二人の学者(R.Gershon、多田富雄)がノーベル賞を獲る可能性が期待されたこともありました。そして、いろんな実験系で雑多な感じの「抑制性T細胞」が乱立しました。しかし、その後この種類の細胞の同定がはっきりしないということと、そのために細胞の解析操作が進展せずに行き詰った状態になり、捨て去られた感じになっていきました。私自身も、「なんでもかんでも抑制性T細胞」というほどの証拠のないものが多過ぎると思っていました。
ところが、その後、坂口志文が新たに発見した「制御性T細胞」という同様の作用をするTリンパ球が市民権を得てきました。この細胞は細胞のマーカーが同定されたということによりその存在の実体があるということになり、細胞の解析操作が可能になってきました。
今の時点で振り返ると、特に私たちの実験系の「抑制性T細胞」の場合は、「制御性T細胞」と共通の基盤があると信じる諸点が数多くありますが、残念ながら、今更そのことを明らかにすることはできていません。坂口先生は大学院を中退して愛知県がんセンター研究所の西塚泰章先生のもとに弟子入りして、それまでの内分泌と自己免疫性炎症との関連の重厚な業績に遺伝子工学の手法などでもって発展させて素晴らしい業績をあげたのだと思います。僕の指導教官の生物学的侵襲手法のかなりのところは彼が常々尊敬していた京都大学・病理学教室の先輩である西塚先生の方法を導入していたので、今から思うと共通の基盤があるのは当然の成り行きだったように思います。僕は、一度、抑制性T細胞の解析に利用しようとして、マウスの下垂体摘出手術を習いに西塚先生の研究室を訪問したことがありましたが、凡人の私には、その後の制御性T細胞への展開など想像などできずに終わってしまったことは仕方がないことでした。
 この数年、免疫学関係のノーベル賞の日本の候補者には、本庶佑とこの坂口志文との両者が挙げられていました。どちらの研究も、癌免疫療法への期待もかかってきています。両者は私の大学の同窓生で、それぞれ私の前後の世代でしたが、優秀な研究者がいるという話題は当時の私の研究室でもでていました。その後の本庶先生の研究は「免疫グロブリンのクラススイッチ機序」を明らかにした素晴らしい仕事で、僕自身は利根川進と同時にノーベル賞を受賞すれば好かったのにと思いました。互いの研究手法からはそういう抱き合わせの可能性はあったはずです。実際には、利根川進の受賞は別の抱き合わせの研究者が共同受賞しました。今年はついに本庶博士が別のテーマである「免疫チェックポイント阻害剤」により同賞を獲得したので、嬉しくなってハイな心情になり、自分の研究の思い出の一部(その研究は非常に未成熟過ぎましたが)をここに付け加えておく気持ちになったのです。抑制性T細胞とエンドキサンについての詳細は別の機会に書きたいと思っています(2018.10)。