2018年1月17日水曜日

088 肺や心臓の聴診についてのお話 (2016.06)

88. 肺や心臓の聴診についてのお話  (2016.06)

医師、特に内科系の医師というと、その象徴は聴診器でしょう。聴診器についてのエッセイを書いてみます。近代医学の最初の頃の診察は理学的診察といった視診・聴診・触診くらいしか手段がありませんでした。現在の聴診器は非常に集音効率が良いのですが、素肌に完全に密着して当てないと聞こえません。また、薄い肌着の上から当てても、「ザーザー」という摩擦雑音が邪魔をして、心音や肺音はよく聞こえません。最近の女性は「肌着の上から聴診せよ」といわんばかりですが、聴診器は素肌に当てないと無意味です。また、ブラジャーも医療上は外すべきですが、「外してください」と言えば、こちらが鬱陶しくなるような顔をされるのがオチなので、それは許容しています。診断上の不都合はあまりありません。

私は呼吸器外科を専攻しました。指導を受けた先生はいろんな患者さんの聴診を小生にさせて、詳しい解説を繰り返ししてくれました。ところが、大抵は「よく判らないなあ」というのが実感でした。小生は幼少時からの不治の耳鳴りによって僅かな聴力障害があるので(ストレプトマイシン副作用)、判りにくかったかも知れません。実はそれだけではなく、経験豊富の名人が「これはこうだ」と言っても、新米の方はそれを検証する術はないのです。名人芸的な面もあるし、免許皆伝的なところもあり、小生には苦手でした。

半世紀くらい前、時の東大教授(神経内科?)が退官時の「私の誤診率は何十パーセントでした」という発言が世間を驚かせました。「むしろ名人だからこその発言」という大方の評価だったように思います。しかし、「名人芸的な要素が大きいほど(その頃の医学レベルでは仕方がない)、やはり誤診率は高いのだろう」と思います。肺の聴診で「ここに胸水が貯まっているようだ」、「この部分に肺炎があるようだ」とか疑っても、胸部写真で確かめない限り、「全くあやふや」であることを何度も思い知らされました。肺や心臓に何か問題を感じた場合、胸部写真を撮影しておかないと後で後悔することになります。胸部写真は検査としては廉価なうえに何枚撮影しても全く安全です。「イロハのイ」の検査です。

しかし、本気で肺の聴診をする必要を感じれば(ある理由で胸部写真を撮らない場合など)私も呼吸器科診療の経験者としての対応をします。普通の聴診に加えて声音聴診といって「アー」と発生させてそれを聴くことも多いです。これによって、気胸、胸水や無気肺(肺炎や腫瘍も含まれる)の範囲の推定が出来ます。打診は心臓の大きさの推定の参考とするのでしょうが、格好付けにしている医師が多いと思います。本気で考えるのなら胸部写真で評価すべきだし、常は視診などの診察全般で心不全の悪化の有無を推定できると思います。

心臓の聴診は以前から肺に比べて優れて解析的な集積があります。電子機器も発達していて心音聴診の名人芸のところも心音図というグラフで検証できますし、古くから心音聴診の訓練用のテープが発売されています。小生も以前買いましたがやっぱり感性と集中力がないので全く進歩がありませんでした。しかし、現在では心音聴診は診断の入り口に過ぎなくて、心疾患の評価や方針決定は、診察上の心不全の程度の評価と心エコーや心臓カテーテルによる評価によります。

心エコーでさえも、診断が付いた後では、検査代の要らない理学的診察の方が治療方針の判断に重要である場合が多いと思います。小生は自己流ながら年間200件は心エコーをした時期がありましたが(透析患者さんのデーター取りの依頼が65%と大部分でしたが)、この数年は年間1~3件です。心エコー自体の所見で診療方針を変えるようなことがほとんどなかったから、正直なところ歳もとったし面倒臭くなりました。プライマリー診療では、通常の視診・触診・胸部写真・心電図・採血検査・検尿などが結局は重要と思います。