2018年1月17日水曜日

061 ラジオ健康相談を聞いての感想 (2006.07)

61. ラジオ健康相談を聞いての感想  (2006.07)

十年以上も前のことですが、私は日本赤十字社健康管理センターの胸部写真読影のアドバイザーの仕事をしていました。木曜日の午後に通勤するドライブの最中がたまたま「ラジオ健康相談」の時間だったので、毎週聴いていました。それを聴いていると、「何故、こういう質問を主治医に聞かないのだろう」或いは「何故、こういう質問を主治医は引き出すことができないのだろう」と感じました。疑問を抱いたまま診療を受けるのも悲しいし、抱かれたまま診療するのも辛い構図です。
主治医が古いタイプの医師なのでしょうか。古い人権感覚の医師にも良いところがあるとは思いますが、やはり十分に判りやすい説明をする義務があります。若い医師にも、そういう場合がありうるので、医師の世代の問題と限ったことではないでしょう。とにかく、気軽に話しかけられる雰囲気が漂っていないということでしょう。もしそうなら、それは客商売道からしても、自己変革して向上してもらいたいものだということでしょう。

 患者側も、ちゃんと病状や方針を聞く努力をする必要があります(59号参照)。というのは、ラジオ相談でその道の権威のドクターに良い意見を聞いた後で、今の主治医にどう付き合っていくのかを想像してしまうのです。これを機会に別の主治医に替えるのだろうか?そういうラジオ健康相談で話を聞いたことを報告するのだろうか?黙って今のままのパターンを続けるのだろうか?
 ちゃんとした情報を冷静に判断して別の医師を選ぶのは良いことかも知れない。しかし、物事は「青い鳥」ではないけれど、遠くに何か良いものがあるという期待だけ持っても確率は良くないのではないか? 自分の医師に対する姿勢が変わらなかったら、相変わらす同じ悩みを続けるのかも知れない。例えば、良いコミュニケーションを取れない主治医を教育するような質問をするのは案外良いことかも知れません。自己経験でも患者さんとの遣り取りで、自己改革せざるを得ないことは時にあります。やはり厳しいことを言われた時がその機会になります。その時は気分が良くなかっても、患者サイドからの妥当な意見や注文は医師の成長の糧です。

 ところで、そのラジオ相談の実力のある医師の説明は、途中で、「詳しいデーターが自分には判らないので、決定的なことは言えませんが、こういうことが考えられます」という風な応答の最後に、必ず言うセリフは、「今の先生に十分に相談されることが宜しいようで」なのです。どちらも無難な台詞とも受け取られますが、やはりそういうことなのです。
また一方、現在の主治医がやっぱり実力不足だったという可能性が結構あると思います。何しろ全国ネットで担当するような医師は相当の実力者であるから、それに比較されると不十分な点が出てくるのはやむを得ないのではないかと思います。私自身、自分の患者さんがそういう相談をされたなら、大抵の領域で自分の力不足のところが判るであろうと思います。実力不足が問題だと思われれば転医も致し方ないと思います。


 最近、ある疾患で最近の検査データーを見て、その治療方針に苦慮したので、インターネットのGoogle で、その疾患名を検索項目に入力したところ、「インターネット大学」のサイトに行き着きました。その結果、非常に良く分かり、知識の整理に役立ちました。これは、医師が見るためのサイトではなく、患者さんが相談するサイトなのです。上述のラジオ相談の進化したものと言えると思います。しかし、それでも、困ったなあという医師が見れば知識の整理やパワーアップの効率が良くても、読み手にもともとの知識が乏しいと、かえって不適切な結果になるリスクの方が大きいと私は思います。